−83 悲劇的人生観と喜劇的人生観

1.6

ひとの人生観の大きな分け方として、「悲劇的人生観」と「喜劇的人生観」があると感じている。
宮藤官九郎さんの言葉をお借りすると「常日頃、自分の周りで起こっていることをシリアスに受け止めるか冗談と受け止めるか。どっかで舐めているか、そうでないか。」

つい先日、サークルの先輩との会話の中で、印象に残った言葉があった。

「おけらのよくないところは、真面目な人間のくせに、不真面目な人間が好きなことだよ」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜僕はもともと悲観的人生観の持ち主だ。
「おけらくんみたいになりなさい」
とか小学校の担任の先生に言われ続けて、いつしか大人の「正しさ」を背負うような子どもになった。

しかし、10代前半の僕は大人の正義を背負い続けられるほど賢くも、強くもなかった。
そうして家に引きこもりがちになった中学生の時、お笑いに出会った。
突然として目の前に広がった圧倒的な喜劇的人生観の世界が救いになった。
僕は、平気で嘘をついたり、女性トラブルをも笑いに変えたりしてしまう、画面の向こうの喜劇的人生観の世界の住民たちに、強烈な憧れを抱いた。
そうして僕は「あちら側の住民」になっていった...つもりだった。

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「おけらのよくないところは、真面目な人間のくせに、不真面目な人間が好きなことだよ」


先輩の言葉は、そんな僕の酔いを一気に覚ました。
お笑いの世界で出会ったその先輩は、ライブでみんながガチガチの漫才をやっている中でひとり「恨みを叫びながら紙コップを叩き潰す芸」をやったり、なんのアポもなしにナイジェリアに就活に行って全企業に門前払いにあい、帰りにイタリアを旅行して帰ってきたりする、正真正銘の「あちら側の住民」である。
そんな人に
「お前はこっち側の人間ではない」
と言われたのだ、なかなかこたえた。

所詮、憧れは憧れ。
憧れから始まっている時点で、そちら側ではないのだ。

でも、喜劇的に生きた方が楽なことは理解しているつもりだ。
真正面から受け止めたら自分が壊れてしまうような出来事が人生にはある。

人の育まれた性格というのは変えようがない。
だが、これからも喜劇的人生観を身につけられるよう努力していきたい。

 

 

 

すげぇ真面目。