−113 新居に荷物を運んだ

12.17

地下鉄の駅から地上に出たところで、いきなりおっさんがタバコを吸っていた。

トイレットペーパーを買うために寄った薬局の店員がパンチパーマのお兄さんと、眉毛なし、金髪ショートツイストパーマのおばさんだった。

これこれ。

京都から大阪に出てきた時にいつも感じる多様性。

この街でならどんな自分でも許される気がして、いつもワクワクする。

 

京都のどこでも自転車で行けるコンパクトさ、碁盤の目に整備された、走りやすい道路。

大通りから一本入れば、生活感溢れる町屋が並ぶ静かな住宅街。

京都が大好きで離れたくないと思いながら、今のアパートから荷物を担ぎ出して大阪に向かう。

しかし、大阪で地下鉄の駅を出るとその憂鬱は「もうすぐこの街の一員になれる」というワクワクした気持ちに変わる。

京都の、量産型大学生の姿はそこにはない。

整った街、京都と、多様性の街、大阪。



買い物に興味がなくて、膨大な商品の並ぶ店に行っても、どこを見ていいか分からず、ただただ疲れるだけだと思っている。

目的のものがあるなら、いつもそれだけを見てそそくさと帰る。

楽しそうに買い物を楽しむ人が羨ましかった。

しかし最近気づいたことがある。

人への贈り物を選ぶ時、僕はああでもないこうでもないと、店の中をウロウロしている。

大体のことをどうでもいい、どっちでもいいと思ってしまう自分が、人のことではきちんと悩めていることに気づけて、少し嬉しかった。

 

 

働き出したら、今までの自分を捨てて何か違う自分として生き始めなければいけないような気がして、働きだすことが何かの終わりのように感じていた。

でも、それは違うのかもしれない。

働きだそうが人生は続く。

節目にはなれど、それはあくまで縦の短い棒が突き刺さるだけで、今までから続く横の長い長い棒はこれからも伸び続ける一方。

時には違う自分を装わなければいけなくなるのかもしれないが、会社から一歩出ればまた元に戻ればいい。

戻れないと思い込むことが一番怖いことなのかもしれない。

 

失恋がきっかけで、ラジオ番組に呼ばれた先輩がいた。

「人生って感じします。すごく。」と言った。

そう人生。

何があろうと横の棒は伸びていくばかり。

生きてりゃまぁなんとかなるのかなと思ったりした。