−108 運
12.22
NewsPicks開いたら、某大手銀行の頭取が変わったニュースが目についた。
新頭取55歳。
うちの親父の3つ歳下。
給料少なすぎて、勝手に養育費を減額した親父。
酒を飲んだら暴れて怒鳴り散らしてた親父。
愛想尽かされて、家族に出て行かれた親父。
1人で住み続けてる一軒家のローンを75歳まで払い続ける親父。
新頭取は、親父の何万倍努力したんだろう。
クソ親父への恨み節はさておき、給料少ないとか社会的地位がどうだとかは、人生においてさほど重要なことではないと思う。
しかし、そういったものを手に入れるためには、努力が必要不可欠だ。「ザ・努力」みたいな努力が。
つまり、社会的地位が高かったり、高給取りの人はみんな、ザ・努力をしている。
そういった人の姿を見た、社会的地位や給料の高さこそが人間の価値だと思っているような人たちが「努力することこそが人生において大事なことだ」みたいなマッチョイズム溢れる思想を生み出したのだと思う。
ザ・努力な努力なんてしなくても、楽しい人生は送れると思う。
そんな努力よりも一番大切な努力は自分を知ることだと思う。
自分が周りの感性抜きにして、なにに幸せを感じるのかを知ること。
自分がなににモヤモヤするのかを学んで、避けたり対処すること。
あと、ザ・努力を重ねたって、必ず報われるとは限らない。
努力は運に身を任せるための権利を得るためのもの。
とか考えてたら、イヤホンから斉藤和義の「偶然と必然 キャッチする努力」という歌詞が耳についた。
『自転車で、ちょうど青信号に変わるタイミングに合わせるために手前で減速し、青信号に変わるちょうどのタイミングに合わせてペダルを勢いよく漕ぎ出したら、ぼーっとしてたのか交差する方向が青に変わるタイミングで、結果的に赤信号に合わせて飛び出すことになった。』
ということを今週だけで2回やってしまった。
前回は、視界が開けた大通りということもあったのか、青に変わった側の車が止まってくれていて、ひかれずに済んだ。
2回目の今日は、たまたま車がいなくてひかれずに済んだ。
視界の悪い交差点だったので、車がいたら死んでたかもしれない。
運。
車がどうとかの運の前に、モヤモヤする出来事があって、ぼーっとしてたのもあって、赤信号で飛び出してしまったのがデカいけど。
早く自分を知りたい。
人を許せるようになって、自分を許せるようになりたい。
自分を見限って、無理に追い求めないようになりたい。