−107 私はオジさんになった?

12.23

 

プレゼントのために買ったレコード、星野源の『POP VIRUS』一度聴いてみたらすごく良くて、あげたくなくなった。

今日、誕生日会当日。

代わりのレコードなににしようかとか、部屋のレコード眺めながら悩んでいたけど、そんな時に、一昨日くらいに見たZ李さんのツイートを思い出した。

投資の損益画面でめちゃくちゃ益が出てる画像に、「児童養護施設にプレゼントを買う倍のスピードで俺の金が増えていくんだよな。これがカルマ理論」という文が添えられたツイート。

 

良いものを自分のために溜め込んでても、良いことないよって言われたような気がした。

このレコードだって、プレゼントあげる人が星野源が好きだったから行き着いたもので、「人にあげよう」という気持ちがなければ出会えてなかった。

すごくよくて、手放したくないとまで思ったこのレコードを、潔くプレゼントしたら、また回り回って何か返ってくる気がする。

良いものを譲らず溜め込むオジさんださいしな。

少しオジさんに近づいた気がする。

こういうことを損得勘定に突き動かされずできるようになりたい。

 

 

今日も斎藤和義を聴いている。

 

『緊張することはいいことさ 好きなことをやっている証拠』

 

僕が緊張する時ってどんな時だろう。

「失敗して迷惑かけたらどうしよう、使えないやつって思われたらどうしよう。」

いつも、僕の評価基準は人から悪く思われないかどうか。

自分のやりたい通りになるかで心配していない。

だから、世間的にみたベターな方向にばかり進もうとする。

敵を作らないで生きてきたつもりだけど、誰とも距離感は遠いまま。

誰にも嫌われないなんて無理だ。

わかっていても嫌われるのが怖い。

傷つかないように生きてきたけど、傷つきながらも生きていきたいと思うようになった。

傷ついた時に耐えられるだけの強さを持っている自信がない。

足踏み状態。

でも、前は見えるようになった。

 

 

自分のいびつさ、変さを隠そうとして押さえつけようとした結果、今の生きづらさがあるのかもしれない。

高校の時、寮で「お前キョドってるよな」と、散々いじられた。

それ以来、自分の視線や顔の向きについて、異常に意識するようになった。

「前を向いて歩かないと」

と、異常に意識するようになって、「普通に歩く」ということに異常なまでに執着するようになった。

その結果、前から来る人とすれ違う時にどこを見ていたらいいのかわからなくなって、苦しめられ続けている。

そう、自分を苦しめているのは

「普通でいようとすること」だ。

家の中でギターを弾いてみたり、本を手に取ってみたり、Twitter見てみたり、1分ごとにやることが変わっているような自分が、あちこちをキョロキョロせずに歩けるはずがないのに。

「普通でいること」がいつも頭の中を支配していて、見たもの聞いたものを覚えていないのだ。

何事にも没頭できないような自覚があるのはきっとそのせいだ。

 

書きながらすっきりしてきた。

書くのって大事なんだなやっぱり。

 

電車の中で書いてる今も、本当は音楽に合わせて首を揺らしてリズムを取りたい。

でも、それはなかなか変なやつ。

どの程度普通の人でいようとするのかはこれから調整していこう。

みんな自制心と欲望を調節しながら生きている。

欲望に突っ走れば、痴漢とかしちゃうんだろうし、自制心に支配されすぎれば今の自分みたいになる。

 

バランス大事。

でも変なやつと思われたくない気持ちがやっぱり強い。

 

だったら、押さえつけるだけじゃなくて、補えばいいんじゃないか。

 

薬局でキョロキョロしすぎて、万引きと勘違いされたのか、店員さんが怪訝そうな顔をして近づいてきて「カゴ持ってもらっていいですか?」と言われたことがあった。

それ以来、店では買うものが少なくてもカゴを持つようになった。

 

外歩いてる時、本当は音楽聴きながらリズム取りたいけど、イタい奴と思われたくなくて、ポケットの中で思いっきりリズムを取ることがある。

 

押さえつけるだけじゃなく、補う、カバーする。まともなように見える努力をする。

 

そう考えると、普段の服装とかももう少しちゃんとした方がいいのかもな。

汚ねえカッコしててキョロキョロしてるやつと、今風のオシャレな格好してキョロキョロしてるやつじゃ、やっぱり見え方違うはず。