−133 『恵まれない人々』
2020.11.25
ビッグイシューを買った。
寄付とかって、なんかおこがましい気がしてできなくて、でもビッグイシューなら、電車の移動中に読みやすそうな分厚さの雑誌との交換で、いいかなって。
比較対象として寄付が出てる時点で、上から目線な気がしてきた。
嫌だ嫌だ。
商品もらうとき、「がんばってください」って言おうかと一瞬思ったけどすぐやめた。
商品売ってもらってるだけなんだ。
自分で無意識に壁を作ってるのが本当に嫌だ。
販売員さん、めちゃくちゃ応対丁寧。
雑誌取り出す数秒のために「少々お待ちください」って言われた。
商品受け取ったとき、深々とお辞儀された。
販売価格450円。
うち、販売員さんの懐に入るのは230円。
230円でこんなに深くお辞儀された。
書けば書くほど、上から目線な気がする。
嫌だ嫌だ。
でも、自分の方が恵まれているのは事実。
恵まれている人が、恵まれていない人との差を埋めようとすることが大事だと思う。
「恵まれない人々」「恵まれない子どもたち」嫌いな言い回しだった。
でも、自分の力だけではどうにもならなかったり、周りから手を差し伸べてもらえなかった結果、苦境に陥った人々を言い表すのに、これ以外にうまい言い回しないなと思って最近、受け入れた。
そうだ、僕は恵まれているんだ。
生まれてからお金に困ったことはないわけではないけれど、それだって自分で選んだ結果だったし、お金に困っても、住む家まで失ったことはない。
僕は恵まれている。
「恵まれない人々」という言い回しを受け入れることは、いかに自分が恵まれた環境、イージーな環境でぬくぬくと育ってきたかを認めることでもあるのだ。
自分の力だけで生きてきたんじゃないと、改めて思う。生まれる前から決まっていた部分から、僕は恵まれていた。