−44 論理的思考能力に優れた人間の「正しさ」の押しつけは暴力だ。

2.15

 

「先輩」のことでずっと頭がぐるぐるしている。

 

先輩には、自我の弱い人間を支配する能力がある気がしている。

 

僕がジモティをよく使うことについて、

ジモティ使ってる男ってダサい男に見えるんよな。」と言われた。

最初は少しムッとしたが、筋の通った彼なりの論理をスラスラと並べられて、論理的思考能力が圧倒的に劣っている自分はすぐに丸め込まれてしまった。

あの場で僕は「正しさ」の勝負で大敗を喫した。

けれど思う。人生で大切なのは「正しさ」ではない。「心地よさ」だ。

あの場で僕は、僕なりの心地よさを正しく見えるよう論理化できなかったから、丸めこまれた。

自分が間違っていると思った。

でもそもそも、自分の「正しさ」を人に押しつけること自体が間違っているのだ。

 

圧倒的な論理的思考能力をもつ先輩は、いつも「正しさ」の勝負に勝ち続ける。

自我の弱い敗者は自分が間違っていると思い傷つく。屈服する。

そうして「正しくない人間」を支配していく。

 

論理的思考能力に優れた人間の「正しさ」の押しつけは暴力だ。

 

正しさの証明で生きていくのは虚しい。

自分の心地よさと、人の心地よさ、どっちも大切に生きていきたい。

 

−46 ジモティ詐欺にあった。

引っ越しのドタバタで文を書く気分じゃなくて、しばらく間が空いた。

吐き出したいことができて戻ってきた。

 

大学の先輩で、春から入る会社の先輩でもある人と会った。

近所に引っ越したので、ジモティでベッドを引き取るのを手伝ってもらった。

 

このジモティでの取引、結論から言うと詐欺だった。

部品が全然足りなくて、連絡しようとしたら既に退会していた。

あくまで個人でのやり取りなので、事務局は間に入ってくれないというのがネット情報。

不思議と怒りよりも「うまいことやりやがったな」という敗北感の方が強い。

打つ手ないもんな。

完敗。

 

「なんとしてでも足りない部品を自分で作ってベッドを作り上げてやる」というわけのわからない方向にモチベーションが向いている。

 

 

詐欺にあったことよりもずっとモヤモヤしていることがある。

それが先輩のこと。

一緒に路地を歩いていた時のこと、先輩が最近吸い出したタバコに火をつけた。

疲れた表情で虚空を見て煙を吐いている。

タバコ吸い始めて「タバコを吸う表情」を覚えたというより、「タバコを吸う表情」になったからタバコを吸い始めたみたいな、そんなスレた顔をしていた。

慣れた感じで灰を伸ばした先輩は、慣れた感じで灰を地面に捨て、最後に吸い殻も地面に捨てた。

注意できなかった。

ものすごい嫌悪感を抱いていたのに、その表情を見せることすらできなかった。

 

「先月後輩に奢った額を数えてみたら8万円だった」

「今月の手取りが50万を超えた」

「働きが認められて、今度仕事を任せられることになった。」

会うたびに誇らしげに語る先輩。

会うたびに、そんな先輩の背中がとてつもなく大きく見えて、果たして自分がやっていけるだろうかと不安になっていた。

 

今日、その尊敬よりももっと強迫的だったその感情は、軽蔑に変わった。

「例え仕事がうまくいっても、給料がいっぱい貰えても、こうはなりたくない。」

「こうなるくらいなら辞める。」

 

仕事のせいじゃないと思う。

その人の性格だと思う。

だけど、仕事の忙しさが人を変える部分はあるのだと思う。

変わるのが怖い。

変わってしまった先輩を見てそう思った。

仕事の忙しさの中で、変わらぬ自分を保てる自身もない。

変わるか、辞めるかならば、僕は辞めることを選びたい。

 

大学からの縁を引きずって、引っ付いているのも良くない。(縁を「引きずる」と表現するのが悲しいけれど)

大学時代は躊躇なく言えていたようなことが、どんどん言えなくなっていっている。

タバコのポイ捨てもそう。

大学の時だったら間違いなく言えていた。

 

あの人は「できる人」だ。

でも、「正しい人」ではない。

少なくとも、僕の中の正しさからどんどん離れていっている気がする。

自分の「正しさ」を、人に求める必要はないけれど、「正しさ」がかけ離れていく人に、しがみついている必要もない。

悲しいけれど。

 

先輩。またいつか。

 

 

−67 とうとう

とうとう、今の家を出る前日の夜になってしまった。

飲み会でも、友だちの家にいる時でもすぐに眠くなってしまうけど、今日は寝たくない。眠たくもない。

 

親と一緒にいるのが自分にとって良くないことだと気づいて、原付に積み込めるだけの荷物を持ってやってきたこの部屋。

初めは冷蔵庫と洗濯機だけだったこの部屋も、今では少し狭いくらいになった。

日雇いの現場仕事で受け取ったお金を握りしめて電気屋に行って、少しずつ家電を買い集めてきた。

テレビを手に入れた時は涙が出るくらい嬉しかった。

 

余裕が出てきて、生活に必要不可欠なもの以外も買えるようになった。

ギターやレコード、DVDとか。

自分の「好き」が可視化されていくのが嬉しかった。

 

布団を敷くスペースだけが残った六畳一間のこの部屋は僕の家というよりも「巣」

 

会社から歩いて10分の都心、家賃が今の2倍超の部屋に引っ越すことが、大事に大事に「巣」を作り上げてきた自分に対する裏切りのような気がして、許せない自分もいる。

 

忘れたくない。

 

 

引越し前で、部屋でタバコ吸うのもやめているからアパートの前に出てタバコを吸った。

街灯に、さっき出した粗大ゴミが照らされている。

買う時は、捨てる時のことなんか考えもしなかった。

 

「月の灯り」を聴こうと思ったら、Wi-Fi届かなくて聴けなかった。

BGMにしてストーリーに載せようと思ったのに。

人生そんなもん。

「かっこつけててもしょーないで」

って、桑名正博に言われた気がした。

 

社会に出るのが怖くて、カッコつけている。

ガワだけが大きくなっていってる気がして情けないな。

でも、武装しないと怖いんです。

ガワに見合う大人になろう。

 

 

-69 「ほんとのこと」にこだわる自分は幼稚で空虚だ

1.21

 

少し前、研修で内定先に赴いた時、人事の人に

「あれ?痩せた?」

と言われた。

咄嗟に

「え?そうですか?」

と答えると

「あ、いや、そんなことないな。がっしりしてるな。」

 

今思うと気を遣われていたのかもしれない。

まだ鍛えてると勘違いされて、プライドを傷つけると思われたのかもしれない。

 

「痩せた?」

と言われたら、

「そうなんですよぉ〜!」

と言っとけばいいのだ。

 

社会は建前で円滑に回っている。

 

「ほんとのことだけ言ってくれればいいのに」

としょっちゅう思う自分は、幼稚で空虚だ。

 

 

鈍感な気質を生まれ持った人間が、敏感になろうとしてもがいているのが今。

故に苦しい。

でも、敏感さが必要な仕事には就いてしまった。

多少の敏感さも身につきつつはある。

早く不惑の境地に達したい。

そのために今のうちにもがかないといけない。

 

−70 「理想の自分」とは

1.20

 

思い描いた「理想の自分」との差に落ち込んだりする。

「自分」とは言うものの、結局は人との関わり合いの中でどう立ち振る舞うかだ。

落ち込んで、人と全く会わず引きこもっていて、嫌々ながらに外から出てみると、案外理想の自分として振る舞えたりする。

自分の中に「理想の自分」はいない。

 

ひとり部屋に引きこもっていても、自意識だけがどんどん大きくなっていくだけで、「外から見た自分」と、「自分から見た自分」の差は広がっていくばかり。

これは特に、自分を卑下してしまいがちな僕はよく理解しておくべきだなと、ふと思った。

−71 隙のある人

1.19

コンビニで会計を済ませたら、次の人が言っていた。

「あの、714番っ」

 

見てみると、その人は大家さんだった。

歴史のあるお菓子屋さんの社長さんでもあるその人は、社会的地位のある人のはずなのに、家賃渡しに行った時とかもすごい愛想よくて、それも客に向ける取り繕った愛想って感じがしなくて、好きな人だ。

 

そんな大家さんのコンビニでの「あの、」を見てもっと好きになった。

なんか隙のある感じ。

どっしりしてはいるんだけど、偉そうではない。

百貨店のバイトで応対してる客とは大違い。

 

変に威厳を持とうとして、結果的にダサい大人もたくさん見てきたから、なんかすごい救われている。

−74 情報の滝をぶつけられている

1.16

 

頭の情報処理能力、整理能力が高くないくせに、色んな情報が目に、耳に入ってくる。

 

見えているけど見てなかったり、確かに見てたけど覚えてなかったり。

そういうことが頻繁にある。

絶え間なく情報が入ってくるのに、それに処理能力が追いついていないから、結果として僕には世界がうっすらとしか見えていない。

ちっさい風呂桶に絶え間なく水を注がれているような感覚。

だから、薬局とかスーパーとか、色んなジャンルのものが並んでいる店で、陳列の分類が不親切な店とかがすごく苦手。

向こうから勝手に情報を運んでくる、スマホもあまり相性がよくない。

通知切るなりして、自分のタイミングで情報を取りにいくようにしないと、流されていって、どんどん自分の無意識のうちに違うことに思考を巡らせてしまう。

 

 

しかし時折、そうした情報の滝を遮ることができるようになることがある。

大体は鬱気味なのが行ききった時。

 

普段なら周りの人間の動きが気になって仕方がないのに、そういうときになると、余計なものが見えなくなって目の前のことに集中できるようになる。

おそらく、それ以上余計な情報にストレスを与えられないよう、体の一種の防御反応として情報を遮断してくれてるのだと思う。

頭で気にしないようにしようっていう意識はないけど、心理状態としては「なんかどうでもいいな」って感じ(自暴自棄になるということではない)

 

 

情報の滝にさらされるということは、悪いことばかりではなくて、自分で言うのもなんだが、割と周りがよく見えたりはする。

これは建築現場で職人の手元をやっている時に結構役に立った。

ただ、普段ボーッと街を歩きたい時とかに、いらない情報にさらされるというのはやはりきつい。

 

そのスイッチがオフになっている時があることに気づいたのはつい最近だ。

 

そのうち、意識的にオンオフ切り替えられるようになるのかな。