−76 曖昧 いいかげん を愛したい
1.14
常々、「早くおじさんになりたい」と思っているし、言っている。
おじさんの、自分を見限ったような、諦めたような、無理をしすぎず、自分の手の届く範囲の幸せを拾い集めて生きている感じに憧れている。
その一方で、いつか絶対的で、断続的な幸せが訪れると信じている自分もいる。
よく言う「何者かになろうとしている」というやつだと思う。
いい映画や本に出会った時に充実感を感じては「この感動を毎日感じられればいいのに」と、次に心揺さぶられる時はいつ訪れるのかと考えては、途端に虚無感に包まれる。
絶対的で断続的な幸せなど、ない。
最近薄々感じ始めた。
曖昧の中を息継ぎしながら泳いでいくのが人生なんだと思う。
「絶対」を信じて生きていても虚しいし、どこか胡散臭いし、それよりも日々の曖昧さを愛して生きていく方が楽しいし、よっぽど現実を見ていると思う。
人生を喜劇的に捉えている人は、曖昧なものをを愛しているんだと思う。
僕が素通りしてしまうような曖昧な感覚を口に出して微笑んだりする。
「あの時みんなでタバコ吸ったの、なんかよかったな。」とか
世の中が曖昧なものに溢れていることを知っているからこそ、日々の出来事を
「まぁ、死なねぇしな」と冗談として受け流せる
人生を悲劇的に捉えている僕は、曖昧なものを感じられない。
だから、ありもしない「絶対的なもの」を追いかけている。
世の中が曖昧なものに溢れていることを感じられないから、日々の出来事を真剣に受け止めてしまう。
ここ数年、日々の曖昧さを素通りして、いつかやってくる「絶対的なもの」に備えている感覚がある。
絶対的なものなどこないのに。
今の僕に必要なのは、日々の曖昧さを愛することなんだと思う。