+75 殺人事件の現場近くを

6.18

華金でテンションが上がってしまって、雨にも関わらず、生粋の出不精にも関わらず、カメラを持って散歩に出かけた。
カメラを買ったらお金がなくなったので、クシャクシャのビニール袋にカメラを包んで防水処置のつもり。
あてもなくフラフラしていたら、つい先日殺人事件があった現場近くにいた。

 

f:id:NonakaOkera:20210619010825j:image

※このお店は殺人現場ではない

 

後から考えると、クシャクシャのビニール袋に入った「なにか」を大事そうに持って徘徊してる人、めちゃくちゃ怖いな。


つい最近カメラを持つようになったばっかりのくせに分かったようなこと言うけど、写真には撮った人の性格が出るなとつくづく思う。
趣味の撮影って、個人の琴線に引っかかったなにかにカメラを向けることから始まって、あとはどこまで切り取るか、何を中心に構図を作るか、色や暗さはどうするかといった演出が加わる。

 

f:id:NonakaOkera:20210619010850j:image
f:id:NonakaOkera:20210619010847j:image

 

僕の写真は暗い。夜だからとか条件抜きにして見てもたぶん、暗い。
高架下とかゴミとか、「社会の残置物」みたいなものに惹かれるところがあって、それは学生時代にいつも教室の隅っこにいたこととか、片親で子どもの頃から親との関係がうまくいってこなかったこととかからきている気がしていて、漠然と抱いている、社会に置いていかれているような、素通りされているような、そういった感覚が現れているのだと思う。

けれど、「暗い」を形にできることには少し期待している。
話してて暗いやつなんて話してて疲れるだけで、人は遠ざかっていくけれど、形になった「暗い」なら、少しは相手にしてもらえる。

 

 

+70河川敷で少年野球を見ていた

たまたま通りがかった河川敷のグラウンドで、どっちが勝ってるのかもわからない少年野球の試合を見ていた。

見たところ小学校低学年くらいで、走り方がまだバタバタしていてかわいかったのだけれど、三塁を守っていた子が、ファウルになったボールを相手チームのボールボーイに渡した時のお辞儀が妙に大人びていて面白かった。

そうか、社会性はこういうところで身につくのか。

あぁ、小学生に戻れるのなら少年野球を習いたい。

 

エラーしたセカンドにショートが駆け寄り「ドンマイドンマイ!」と声をかける。

ヘッドスライディングをしてフライを取り逃がした子に「ナイスファイトォ!」とベンチから掛け声がかかる。

僕は今過程や姿勢がそこまで評価されない世界にきてしまった。

社会や組織の歯車をどれだけ早く回せるかが評価の軸の世界。

仕事とはそういうものだ。

 

僕と同じように、ボーッとグラウンドを見つめる大人たちもまた、社会の歯車から離れた世界に想いを馳せているのかもしれない。

 

 

どちらが勝っているのかわからないままイニングの合間に切り上げて家に帰って、玄関を開けるとドラム式洗濯機が洗い終わった洗濯物を乾燥していた。

 

お金や便利さを手放してでも戻りたい過去が見えた。

+33 記者になる彼

5.7

「親に怒られたからいじめをやめた」という全然面白くない話を笑い話として語り、特集で取り上げられていた不登校の子の格好を見て「家の中でオフショル着るな!」と全然面白くないツッコミをしていた奴が、記者になるという。

そんなやつが仕事をしていく中で「弱者に寄り添う姿勢」を身につけたとして、果たして価値はあるのだろうか。
上からどう塗り重ねようと根本は変わらない。

 

どこまでいっても、他人事は他人事。

大事なのは寄り添っている「つもり」であることを忘れないことだと思う。

だけど、こういうやつに限って「記者、俺」に酔い続けるような気がしてならないんだよな。

 

 

そう言っている僕はどれだけ立派な人間なんだろう。

『偽善者は歌うよ世界の平和を求め。

理解者はいないよ、だって僕たちはみんな偽善者』

清志郎の歌声が救いになる日々だ。

 

偽善者として腹を括ろう。

真っ直ぐな偽善者になりたい。

+27 働いている

4.27

 

学生の時、もったいないなと思って見ていたサラリーマンみたいな買い物の仕方をするようになった。

変わったなと思う。

今の自分を見て学生の時の自分がなんて思うか知らないが、今の自分で生きていくしかない。

 

嫌なこと、やりたくないことも我慢している対価でお金をもらっているのだ。

我慢したぶん、我慢したぶんと言い聞かせながらエコバッグをぶら下げて帰っている。

 

ゴミ箱の中が不摂生そのものだ。

コンビニ弁当、エナジードリンク、アイス、タバコの空き箱、ティッシュ

「自分に優しく」「自分に正直に」って言うのは、社会の歯車に組み込まれる前だったから言えてたんだと強く実感する。

「あんな大人になりたくない」とか見下すな。

みんなできればなりたくなかったんだから。

 

こうやって揉まれることで、独りよがりな変なこだわりとかは捨てていけるのかなと思っている。

独りよがりな昔の自分を見て、

「若いね」って笑うような大人にはなりたくないけど。

 

久しぶりにANARCHYにハマっている。

やっぱりかっこいい。

+26 仕事としあわせ

4.26

 

仕事における向上心と、幸福感は比例しない。

むしろ、反比例すると言ってもいいかもしれない。

帰ったらあったかいご飯が準備されていて、ありのままの自分を受け入れてくれる両親がいるならば、外で認められなくても怖くないから。

(無論、円満に見えるだけな家庭があったり、円満な家庭の中で育っても満たされないものはあるというのはわかっている。)

若いうちは満たされない何かがあって、今の自分が嫌いで仕方ないほどがんばれるのだと思う。

 

 

制作者として自分の名前が記載されるものを作っているときに

「もういいじゃん、帰ろ。」って言われて信じられなかった。

けれども、そう言う彼女には両親の待つ家があって、そんな家に一刻も早く帰りたいというのは自然なことだろう。

 

逃げ場がある人は、

「お客さんからお金もらってるんだから」

という言葉を繰り返し浴びせかけられて、仕事に対する責任を背にがんばるようになるのかもしれない。

 

だけど、僕のモチベーションは自己否定からの逃亡だ。

自分が否定されたら逃げ場がなくて、それが怖くて仕方ないから仕事に執着する。

これがしあわせとは思わない。

けれど、満たされないモヤモヤを背負っている人が足掻くからこそ、世の中は回っている。

負けてたまるか。

 

 

−5 素直に「地元」と呼べないけれど

3.26

 

嫌な記憶しかなくて、素直な気持ちで「地元」と呼べないような、生まれてから中学まで住んだ町。

そんな土地でも、やっぱり久しぶりに来て変わっている街並みを見ると、寂しいような気がしてくる。いや、寂しい。

素直に地元と呼べない。

素直に愛着を感じようとできない

 

小さい頃の記憶しかないこの街のラーメン屋で、最新の曲がかかっている。

 

ばあちゃんによくアイスを買ってもらったスーパーでライターを買って、学校帰りにヤンキーが溜まっていたコンビニでタバコを吸った。

毎日部活の友だちと歩いた通学路を、少しずつルートを変えて何度もバイクで走った。

 

記憶を塗り替えて回ったつもり。

嫌な記憶しかないけど、やっぱりここは僕の地元なんだ。

不思議といつかまたここに帰ってきたいと、そう思った。

-9 もういくつ寝ると

3.23

 

あと9回寝ると、いつまでも続くような気がしていた自由な日々が終わる。

「ただ生きている」ことが許された、退屈で貴重な時間が。

それでもいつものように何気なく布団に入りウトウトしている自分がいる。

何気なく、かけがえのないものを失おうとしている。

「大切なものは失ってからそのありがたさに気づく」とは言うけれど、本当にその通りだと思う。

また失ってから気づくんだろうなぁと思いながら、ボーッとスマホをいじりながら、瞼が重くなるのを待つ自分がいる。